ヨガ的カラダの見解 ①

カラダは宇宙の生命体、地球の構成要素の分子が、命のエネルギーで、つながっている肉体です。死んだ後は、命の力がそこになくなるので、再び分解されて、宇宙のチリ、地球の構成要素に戻ることは、いろんな場面、野菜、虫、動物、人間の死骸を目にすることで、一目瞭然です。

そして、5感、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、などの機能、手足で動く機能、頭で記憶し、考える機能が備わっているのは、人生で経験をするため。カラダは人生において買い換えることの出来ない乗り物です。上手にドライブ、故障なくメンテナンス出来たほうがいいですよね。。

私は、セラピーやヨガのワークを通して、肉体は、精子が大きくなったもの、とシンプルに捉えるようになりました。父親から生まれ、母親の卵子を糧に肉体を得たのです。精子だけでは肉体を得られないし、卵子だけでも命は育まれません。命である精子に、肉体の構成要素の卵子が合わさって、脊椎神経、脳、心臓、目等が構成されていく、、と考えるようになりました。

ハタヨガの「ハ」はプラーナ、命の力を表し、「タ」はマインド、精神的なエナジーを表すと、ハタヨガでは説明されています。この二つの「ハ」と「タ」、命と精神の力が一体となるとき、高次元の意識に目覚める、それが「ハタヨガ」の意味するところらしいです。

そして、ヨガでは、意識と命は、「プラクリティ」、「プルシャ」として知られ、ヒンドゥーイズムでは「シャクティ」、「シヴァ」、アーユルヴェーダでは「イーダ(月)」、「ピンガラ(太陽)」、タオイズムでは「イン」「ヤン」、など、コインの裏表のように表裏一体となる命、エネルギーのあり様は、様々な時代、哲学で、いろいろな名前がついています。

そして、最近知った、新潟大学の教授、阿保徹先生の話は、非常に興味深く、上記の、ヨガ的カラダの見解を裏打ちするような発見をされているので紹介させてください!

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